イントラムロス Intramurosとは?
イントラムロスとはフィリピンのマニラにある旧城壁都市です。
スペイン統治時代の16世紀につくられたマニラ最古の地区といわれるのがイントラムロスです。
第二次世界大戦では、日本軍がイントラムロスでアメリカ軍などの連合国と戦い、城壁には多くの砲弾の痕も見ることができます。
イントラムロス(Intramuros、イントラムーロス)は16世紀にスペイン人によって建設された城郭都市である。フィリピンの首都マニラの都心にある地区であり、パシッグ川南岸に位置する。その名称は直訳するとスペイン語で「壁の内側」である。スペイン時代には、イントラムロスはマニラそのものであり、城壁の外側とは明確に区別されていた。
イントラムロス – Wikipedia
イントラムロス観光でおすすめの定番スポット5選
サンチャゴ要塞跡(Fort Santiago)
イントラロムスの北の一角に位置し、かつてスペインや日本、アメリカがフィリピンを統治していた頃に、軍事的に最も重要な役割を果たしていた場所。城門内には「リサール記念館」があり、英雄ホセ・リサールが使っていた机や服、当時描かれた絵画などが展示されています。
リサール・パーク(Rizal Park)
サンアグスチン教会(San Agustin Church)
Baluarte de San Diego バルアールテ・デ・サン・ディエゴ
バルアルテ デ サンディエゴはマニラでもっとも古い石造りの要塞です。
1760年代のイギリス軍の攻撃や、1862年の地震、第2次世界大戦での爆撃で破壊され、1980年代に再建されています。
ここから、大砲で応戦していました。
この大砲は奇跡的に当時のまま残っている大砲です。
当時のイギリス蒸気機関車が展示してあります。
バルアルテ デ サンディエゴはマニラでもっとも古い石造りの要塞です。
1760年代のイギリス軍の攻撃や、1862年の地震、第2次世界大戦での爆撃で破壊され、1980年代に再建されています。
要塞の壁は歴史を感じますが当時のままでしょうかね?
石造りの要塞です。
多くの迫撃砲で攻撃を受けています。
Rizal Shrine リサール記念館
フィリピン独立運動の国民的英雄「ホセ・リサール」の記念碑がある記念館です。
リサール記念館の城門には当時のアメリカ軍からの攻撃跡が生々しく残っています。
戦車からの攻撃を受けていました。
アメリカ軍からの砲弾の跡
ホセ・リサール José Rizal
ホセ・プロタシオ・メルカード・リサール・アロンソ・イ・レアロンダ (Jose Protacio Mercado Rizal Alonzo y Realonda,1861年6月19日 – 1896年12月30日)は、フィリピンの革命家、医師、著作家、画家、学者。フィリピン独立運動に取り組んだことから「国民的英雄(Héroe Nacional)」と称される。通称はホセ・リサール(José Rizal)。
ウィキペディア(Wikipedia)
ホセ・リサールの銅像
処刑に向かった時のリサールの足跡です。
リサール記念館ではリサールが使用したゆかりの品々が展示されています。
リサールは非常に優秀で海外で学問を学び、母方側が日本人の血が混じっており、
日本にも滞在しています。
当時のお金や使用していた家具・道具などが展示されています。
リサールの母は日本人とスペインの血が混じっています。
また日本滞在中に「OSEI SAN」という日本人女性と親交があっています。
ホセ・リサールはとても日本と関係の深い人物です。
リサール記念館からの風景
このマニラ湾につながる川を使って貿易が行われていました。
Casa Manila カーサ・マニラ
竹で作った自転車をレンタルして周遊する事もできます。
「CASA MANILA MUSEUM」は当時の貴族が住んでいた家を博物館として開放しています。
フィリピン名物、カレッサ
マニラ大聖堂前にアートオブジェが展示されていました。
Manila Cathedral マニラ大聖堂
第2次世界大戦で破壊され、戦後にネオロマネスク様式で再建されたカトリック教会の大聖堂
アジア最大のパイプオルガンがあります。
マニラには観光地はあまりありませんが、イントロムロス観光に行ってみました。イントロムロスをきっかけにフィリピンの歴史や遺跡・教会ツアーなどとても良かったです。一人でもペディキャブで巡ると良いかと思います。必ずガイドを見極めて交渉が必要です。値段交渉をしておかないと高額な請求になります。
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