リサール記念館 Rizal Shrine
リサール記念館はイントラムロスのサンチャゴ要塞跡の城門内にあります。
英雄ホセ・リサールが当時仕様していた服や机、多彩な経歴を物語る多くの遺品が展示されています。
ホセ・リサール
ホセ・リサールの銅像
フィリピン独立運動に取り組み国民的英雄と称される。
医者、小説家など多彩であり、20数言語を習得していた。
リサールの著書『ノリ・メ・タンヘレ』と『エル・フィリブステリスモ(El Filibusterismo)』という2つの小説が有名で、フィリピン人の独立への機運を高めた本であった。
ホセ・プロタシオ・メルカード・リサール・アロンソ・イ・レアロンダ (スペイン語: Jose Protacio Mercado Rizal Alonzo y Realonda,1861年6月19日 – 1896年12月30日)は、フィリピンの革命家、医師、著作家、画家、学者。フィリピン独立運動に取り組んだことから「国民的英雄」と称される。通称はホセ・リサール。
ホセ・リサール – Wikipedia
記念館の展示物
リサール記念館ではリサールが使用したゆかりの品々が展示されています。
リサールは非常に優秀で海外で学問を学び、母方側が日本人の血が混じっており、
日本にも滞在しています。
リサールの軍法会議の様子
ホセ・リサールが使用していた遺品
ホセ・リサールは紙幣や切手などに描かれています。
OSEI SAN(おせい さん)
リサールの母は日本人とスペインの血が混じっています。
また日本滞在中に「OSEI SAN」という日本人女性と親交があり、ホセ・リサールのガールフレンドと言われています。ホセ・リサールはとても日本と関係の深い人物です。
ホセ・リサールの最後
ホセ・リサールは独立闘争に関与しているとして、軍法会議にかけられ、1986年12月30日にフィリピン民衆が見守る中、35歳にして銃殺処刑されました。
処刑に向かった時のリサールの城門内にフットスタンプが残されています。
その他
施設情報
イントラムロス観光を通じて、リサール博物館でホセ・リサールを知りました。
フィリピンの歴史や独立運動など学ぶきっかけとなりました。35歳で命を落としたホセ・リサール。もし生きていればフィリピンはどのように変わったのだろうかと考えてしまいます。
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