2013年のフィリピン旅回想記
2013年のフィリピン旅は4月からスタートしてしています。
台湾からエアアジアでクラーク入りです。
台北⇔クラーク(CLARK)線はこの翌年頃に無くなりましたが、
同じくエアアジアで2018年4月に再開設されています。
台湾・桃園国際空港からクラーク国際空港へ
クラーク国際空港は旧称「ディオスダド・マカパガル国際空港 (Diosdado Macapagal International Airport) 」でアンヘレスに近いクラーク経済特区内にあります。
アメリカが建設した空港で最初の日本軍の神風特攻機が飛び立った空港でもあります。
アンヘレス(バリバゴ)の主要道路はマッカーサーハイウェーとも呼ばれ、日本軍の神風特攻隊の慰霊碑もあります。
クラーク国際空港での飛行機はすべて沖止めとなり、タラップから見渡す風景は懐かしさを感じます。
このアングルからの眺めはなかなかできないですよね~
飛行機を降りて歩いてターミナルに行きます。
折り返し便に搭乗するパイロットとCAです。
個人的にはエアアジアのCAの制服が一番好きです!
クラーク国際空港からバリバゴまでジープで向かいます。
空港からバリバゴまで約20分ほどの距離になります。
アンヘレスと通称で呼ばれますが、正確にはアンヘレスではありません。
正確にはアンヘレスはアンヘレスシティの事で、外人が宿泊する繁華街はバリバゴやフィールズアベニューと言います。
サバンナ リゾート ホテル (Savannah Resort Hotel)
私の定宿のサバナ リゾート ホテルです。
ベテラン御用達のプリメタエリアにあるホテルです。
いつも現地の人に囲まれて、パーティ・パーティです。
ホテルの室内は広くベッドとタオルがお気に入りです。
ここのレストランはとても美味しいです。
日本人の利用も多いホテルです。
パリメタ周辺のGOGOバー
パリメタ周辺のGOGOバーはお昼頃からOPENします。
韓国人に人気のGOGOバーも集まっており、夕方頃に行くとすべて刈り取りされ残ったおばさんたちが踊っていたりします。(笑)
写真はガールズジェネレーションだったと思います。
コヨーテダンサーが踊っている写真です。
フィリピンでアルバイト(笑)
フィリピンの友人のお仕事手伝いです。
冷凍倉庫から魚介類を積み込み配達です。
冷凍庫で涼んだ後、スタッフと写真撮影です!
友人の会社のボスとカンパーイです。
ここのカラオケやばいです。
スクリーンデカすぎ!映画館かよ!
食品デパートでリサーチです。
キッコーマンのしょうゆなど、日本の調味料も多くの種類が置いてあります。
フィリピン人にキューピーのマヨネーズが大人気です。
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アンヘレスからマニラへ移動
アンヘレスからマニラへの移動手段はいくつかあります。
当時はアンヘレスのバスターミナル「ダウ(DAU)」からバスでの移動が主流でした。
*当時は初心者がアンヘレスに行く事はリスクがありました
今でも変わりませんが、バスチケットです。
穴(パンチ)が行き先と料金が記してありバスの中で料金を払います。
フィリピンの警備
フィリピンでマクドナルドなどのハンバーガーショップの店内でもショットガンを持った警備がいます。
マニラの鉄道
マニラのマカティ周辺は渋滞がひどいので鉄道も利用します。
盗難対策でリュックは前掛けが基本です。
電車の中はいつも人で混雑しています。
スリも多いので、気を付けて乗る必要があります。
マニラからプエルトガレラへ
オルティガスのJAMバスターミナルからバタンガス行きのバスに乗り込みます。
バタンガス港からプエルトガレラへ
バンカーボートでプエルトガレラがある、ミンドロ島へ向かいます。
2017年頃にバンカーボートが廃止?となりフェリー就航となりました。
外海なのでバンカーボートは大きな揺れがあります。
波が湿気ると欠航もおおくなります。
バンカーボートでムリエ港(プエルトガレラ港)に到着してホテルに向かいます。
ザ マナー アット プエルト ガエラ (The Manor at Puerto Galera)
ムリエ港に近い高台にあるホテルです。
景色がとてもよく貸切状態での利用でした。
部屋の様子
ホワイトビーチ
プエルトガレラで一番人気のビーチは「ホワイトビーチ」です。
多くのお店やビーチアクティビティがあり、1日中ここで過ごす事ができます。
プエルトガレラは欧州人に人気の場所です。
日本人をほとんど見かける事はありません。
船をチャーターして、アイランドホッピングです。
無人島に渡って走り回ります。
夜はホワイトビーチ名物のファイアーダンスを楽しみます。
初めてプエルトガレラに行った時を思い返して回想記を書いています。日本では味わう事の出来ない解放感を感じていました!
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